富良野の濃〜い人間関係。のんびり自由気ままな生活は無理!?
都会の生活に疲れ、会社の人間関係に疲弊し…。
「田舎だったらのんびり暮らせるんだろうなぁ…。」という理由で田舎暮らしを考える人もいます。
しかし、この「人間関係に疲れたから富良野でのんびり暮らしたい」という発想は非常に危険。
はっきり言って、人間関係に関しては都会暮らしに比べると富良野の方が面倒です。
今回は愚痴と実体験を交えて、移住者目線での「ここがヘンだよ富良野人」をお伝えいたします。
外に出れば誰かに会う
富良野市内は店舗や飲食店が限られており、ある程度の生活パターンが出来てしまいがち。
そのため、買い物に行くだけで高確率で知り合いに遭遇します。
時に、世間話の大好きな人と出会ってしまうと挨拶だけでは済まず、そのまま立ち話に付き合わされる事も。
さらに謎なのが、車で走っていただけで「◯時頃、スーパーにいたっしょ?」「××で見かけたけど、仕事?」と挨拶がわりに言われる事が…。
対向車のドライバーの顔を全員確認しているのか?と驚く事もあります。
富良野の人間関係は仕事もプライベートもごちゃ混ぜになる事が多く、さらに町内会やPTAなどが絡むとさらに複雑になります。
正直言って、それは都会暮らしの比ではありません。
それって差別?区別?
同じ富良野市内でも、出生地や居住地が違う事を理由に意味のわからない区別をされる事があります。
例としては
- 「あの人は◯◯地区出身だから…。」
- 「××地区の人は強引だから…。」
- 「内地から来た人は△△だから…。」
など。
と言っても、喋っている本人は悪意も無く無意識な事がほとんど。
単純に世間話の一部という感覚でしか無く、差別的な意図はないはずなのですが…。
富良野に定住して10年も経つのに「◯◯さんは富良野の人じゃ無い(=富良野生まれでは無いの意)」と言われると、あまり気分の良いものではありません。
日常会話で耳にする事が多いフレーズですが、ぶっちゃけた話、その違いはよくわかりません(笑)
ガチで「儲かってる?」と聞いてくる
大阪(特に船場の商人)の「もうかりまっか?」「ぼちぼちでんな」は有名な挨拶。
しかし、この言葉の前提には信頼関係がある人同士や、同業者間などの特定のグループ内でのみ許された言葉です。
親しくも無い間柄で使える言葉ではなく、さすがの大阪人でも日常会話で使うことは滅多にありません。
しかし、富良野では日常会話で「儲かってる?」「忙しいの?」と、悪気なく平気で懐具合を聞いてくる人と遭遇する事があります。
大して親しくも無い人がいきなり「君、いくら稼いでるの?」なんて聞いたら失礼極まりないのは当然の話。
にも関わらず、富良野に住んでいると日常的に耳にする違和感を覚える言葉の一つです。
富良野の成り立ちに関係がある?(仮説)
実はこれらの「違和感/不快感」を感じる言葉の背景には、富良野の開拓の歴史が関係している…のでは?という仮説があります。
元々、富良野の語源はアイヌ語で「臭い泥土(硫黄)」を意味するフーラヌイであり「富んだ良い野」とは真逆の意味。
その荒れた土地を開拓/発展させていく際に、周辺住民同士の協力は欠かせませんでした。
時には、お互いに連帯保証人になったり、土地や設備を共同で管理したり。
それは「助け合い」という言葉では無く、切実に「一人でもコケたら集落が潰れる」という危機感から「相互監視」の構図が自然発生したと考えられます。
これは富良野に限った話ではなく、全国的に「田舎臭い」と揶揄される背景にあるもの。
しかし、富良野原野の入植開始時期(明治後期)を考えると、約100年の歴史しかないため、当時の雰囲気が色濃く残っていると推測されます。
正直、煩わしさを感じる事もありますが、いざという時に損得無しで協力できる人達が多いのも事実。
南富良野町の水害復旧作業や、胆振東部地震のブラックアウト時の団結力は見事でした。
移住当初は「あれ?富良野ってなんか変かも?」と感じることもあるでしょう。
そこには良くも悪くも「人間関係が密接」な事が影響しています。
慣れてしまえば知り合いの多い環境も居心地は良く暮らしやすさも感じますが…。
冒頭のように「のんびりした自由な暮らし」をイメージしている人は注意が必要かもしれません。